9/12

 

覚えていること。スクールカウンセラーは、わたしがオーバードース自傷を打ち明けるまで「様子見」としか言わなかった。親に連れられて行った先のカウンセラーに「やらなきゃいけないことができなくてつらい」と言ったら、「本当にやる必要があるとは思っていないんじゃない」と返ってきた。高校の友達は、わたしのことを甘えと言って糾弾した。親は心療内科に行かせてくれなかった。親の選んだ病院では生活への指摘ばかりだった。保育園のころは怒られた記憶しかない。小学校では浮いていた記憶しかない。中学校では孤独だった記憶しかない。わたしが記憶を歪ませた?

どうして親も先生もカウンセラーも「つらかったね」と言わなかったの どうしてわたしは今でも自分のつらさを認められないの どうして腕の傷は増えるばかりなの どうしてひとりで泣く日ばかりなの どうして誰もわたしのこと助けてくれなかったの どうして わたしはただ抱きしめてつらかったよねと言ってくれたらそれでよかったんだよ

9/2

 

 

自分の不安に原因を見つけることばかり上手くなって、雨だから、低気圧だから、人と会ってないから、外に出ていないから、食生活が、睡眠が、自律神経が、って、それらしい理由を見つけて、安心を得ようとする。さすがに18年も生きれば、いま感じている不安が一時的なもので、さっきから浮かんでくる最悪な想像は、なんの根拠もない妄想だってわかる。そう、今日は低気圧だから、わたしが不安なのは低気圧のせいだから、だから大丈夫。

人生は苦しみだと思うことは諦めじゃなくて、むしろ、苦しんでいいんだという救いな気がする。人生がつらいと思い続けていたらいつのまにか、つらくないと生きている心地がしなくなってしまった。わたしの人生、死ぬほどつらいことなんてひとつもなかったのに、わたしはどうしてつらいだなんて思ってしまうんだろうね。自分で自分のつらさを認められないからといって、代わりに他者に認めてもらおうとするの、やめられたらいいのにな。誰のことも信用してなかったくせに、相手を依存させることばっかり好きで、だから友達できないんだよ。